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別にいいじゃん

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学歴詐称と合理的無知仮説

雑談

headlines.yahoo.co.jp


最近、学歴詐称の話が流行ってるので今日はそのことを。

巷では、「学歴だけで人を判断してはいけない」とか「評価する人間の問題だ」とか言われていますね。

「学歴だけで人を判断してはいけない」というのは本当にそうだと思いますけども、そういう教訓のようなありがたい話じみたまとめ方にはなんだか違和感を感じます。


僕はこれからも学歴で人を判断する風潮は変わらないと思いますしそのメカニズムも考えてみたのでこれから説明してみたいと思います。


合理的無知仮説とは


合理的無知仮説というのは、ざっくり説明すると
「知っておいた方が良い事柄だとしても、その情報を得るためのコストパフォーマンスを考えて意図的に無知のままでいる」というものです。


具体例で言うと、政治における選挙の候補者選択とかですね。
例えば、投票先の選択って党の政策であるとか候補者の人柄、まで全て知ったうえで全ての選択肢を比較して決めるのが究極の理想なんだと思うんですけども、なかなかそこまでやっている人はいません。

色々理由はあるにせよ、合理的無知仮説に基づいて考えるなら情報を得るコストが高い割りにその投票から得られるメリットが少ないということで説明されます。

まあそうですよね。
各党のマニフェストを全部正しく理解したうえで読み比べるというだけでも大変なのに、その人柄まで知ろうと思うと党の集会とかにまで足を運ばないといけません。
政治好きな人ならばそこまでするんでしょうけども、普通に働いて普通に暮らしている人からしたらそんなことをするのはかなりの負担になる基本的にはそこまでしません。


だから、「とりあえず何となく名前を知っている人」とか「とりあえず○○党」みたいなかんじで投票をしてしまう。(仕方のないことなんですが)
それに、その人たちは「○○党だからと言って必ずしも優秀な政治家とは限らない」ということもきっとわかっているうえで投票をしているんです。
全ての情報を網羅して精査する手間はかけられないから、「とりあえず○○党の人は期待に応えてくれるはずだ」とみなす。



僕が「やっぱり学歴で人を判断してはいけないんだ」という話に違和感を感じるのは、そんなことはみんな分かったうえで学歴で人を判断していると考えるからなのだと思います。
なので「学歴で人を判断できると心から信じている人たちが過ちを犯した」というような語り口はなんだかずれているような気がします。(そういう人ももちろんいるんでしょうけども)

分かっていてもそうしてしまう理由を考えない限りこの話は先に進まないと思いますし、僕はその理由は合理的無知仮説にあるんじゃないか、と考えているわけです。

学歴詐称と合理的無知仮説


合理的無知仮説の説明をしたので学歴詐称がなぜまかり通るかを分かるようになったと思います。

一言でまとめると、
人の素養は人柄を網羅的に判断して精査するのはコストがかかりすぎるからわかりやすい経歴や実績で人を判断するのが合理的だと考えられているから、というところだと思います。

報道の世界では信頼が大切ですからショーンさんは失脚してしまいましたけども、怪しいジャーナリスト、コラムニストみたいなのがうじゃうじゃいる世界であの地位にまで上り詰めたのはすごいことなんじゃないでしょうか。


彼に対する批判は色々あるでしょうけども、本当に学歴で人を判断しない人ならば
学歴詐称は問題だが、彼の発言や実績は○○だった」という風に、人柄と行動や発言の類を分けて考えていくべきだろう、と思います。




これからも学歴で人を判断する風潮は変わらないだろうと、冒頭で僕は言いましたけどもそういう世の中を変えていくためには「その人の本質を見るようにしよう」という精神論ではなくて合理的無知の壁を乗り越えていく必要があるのではないか、と考えます。


「年上だからっていい人とは限らない」「後輩だからと言って自分より劣っているとは限らない」「偉い人らしいけども本当にどのあたりがすごいのかは自分で調べて実物を見て考えるようにしなければ」
ということを常に考えながら過ごすことに近いのでなかなか大変ですけども、要は「暫定的に○○とみなす」ということを無くしていくということはそういうことんなんじゃないか、と。


いずれにせよ、今回の件の問題の落としどころを「学歴で人を判断できると思い込んでいる人たち」ではなくて「学歴だけで人を判断できないということをわかっているのに学歴で判断してしまうメカニズム」とみなしていくことは大切なんじゃないか、と思います。